自分が認識できる外の世界というのは、自分の発振と同調したものが現象として外に現れているだけです。
太陽の日差しでできる影法師と同じこと。
自分が動けば、影法師も同じように動くように、あなたが変わるごとに、あなたを起点に映写されている現実も変わって行きます。
逆に言うと、自分に持ち合わせのないものとは、出会えません。
ニュースや噂を聞くこともないので、この世に存在することさえ、知り得ません。
自分に発振がないもののことは、想像することさえ出来ず、全く認識できないのです。
ではなぜ同じ発振のものとは出会えるかといいますと、共鳴現象が働くからです。
ギターの弦を鳴らすと、すぐそばにある別のギターの弦が鳴り出すことがあります。
同じ振動を持つ弦が共鳴しているのです。これを共鳴現象といいます。
テレビやスマホのアンテナは微弱な信号を発信していて、その周波数と同じ放送を受信することが出来るから、画面に映像が現れます。
池に石を投げ入れると、ポチャンと落ちて水紋が広がり、岸にぶつかるとまた起点に戻っていきます。
あなたが誰かに馬鹿野郎と言えば、誰かから馬鹿野郎と返ってきます。
あなたが感謝のおもいを抱いていると、感謝されることが起きてきます。
あの嫌な出来事も、あの嫌な人も、あなたが発振しているものを、鏡のように外に映して顕れている、あなたのことです。
あなたが認識できるすべては、鏡に映ったあなたです。
私たちは自分の発振と同調共鳴したものを、様々な人や物や現象として外界に映し出して体験しています。
このことに例外はありません。(※)
どんなに恐ろしい敵、どんなに嫌な出来事が起きたとしても、究極的な意味においてあなたの範囲を超えることは起きていません。
あなたの体験において、あなたを脅かす絶対的な ”外” や ”他” というものは存在しないのです。
ですから貴方は単なる被害者なんかではありませんし、外に脅かされる無力な弱者でもありません。
(※)インターネットの時代には、調和のとれたものから不調和なもの、過激な表現など、その人にとってまだ準備のできていない情報や無用な情報まで容易に飛び込んでくるようになっています。統合できずに波動を落としたり、混乱混迷しやすくなっていますが、選択権は常に自分自身ありますから、魂の軸を保ち、いい加減ではなく本気で生きるのと同じように情報を選ぶことが大切になっています。