想念観察の最終段階は、本質との自問自答となります。
観ている世界 その世界を観ている自分 そのすべての景色を観ているのが 真我・本質生命体であり、さらにいうと究極の宇宙意識です。(究極の宇宙意識のことを、精神世界ではモナドや本源と呼んだりしています)
想念観察に習熟してくると、意識の焦点はこの本質のほうへ重心が定まります。
人生で何が起きても起きなくても、心が安定し、静穏静謐で、軽やかで愛に満ちた状態が常になります。
たとえ一時的にブレて、現実という映画の中に埋没したとしても、すぐに切り変えて戻ってこれるようになります。
映画を観ているうちに映画の中の出来事に腹を立てて、その映画のシナリオライター兼監督である自分がスクリーンの中に入り込んで、出演者と戦ったりやめろと文句を言うようなものだと知っているからです。
ですから、責任転嫁はしないのです。
すべてを了解したその状態で、現実というホログラム映画に積極的に参加します。