学ぶということは、すべてのものに備わった本質的な歓びであり、命を生成発展させていく宇宙自然界の普遍の営みです。
興味のないことを、いやいや詰め込むのは、無理があり自然の仕組みに叶っていません。
興味のあること、自ら問いを持ち、知りたいと望む自主性のある状態で学ぶ時、それは四方八方に生成発展していく超効率の流れに乗ることが出来ます。
教える側、学ぶ側、両者の協力で互いに体験して学びます。
問いを持ち学びたいと願う時、教師も生まれて、出会います。
教える側は、既に習得したものを還元する立場ではありますが、学ぶ者が問いを持って自ら体験して学ぶ、その生成発展を促進するように工夫して働きかけることで学んでいます。
正解を教えるのではなくヒントにとどめ、そこへ至るまでの気づきや体験を導けるよう工夫することを宇宙語でデビックというそうです。
教える側の大切な心得です。
全く同じコピーをつくるだけならば、そもそも学ぶ教えるという関係は不要です。ただコピーすればいいのですから。
でもこの世界はメビウス流動の中にあり、それは常に新しいものを生み出すようになっています。
生徒と教師、親子、高次元の存在と物質界の存在など、様々な立場でこのイベントに参加することが出来ますが、教える側、学ぶ側の存在に気づかれないまま、実行していることもあります。
学ぶ側も教える側も、未知を既知にしていく途上には、勇気や、諦めない粘り強さや、いったん手放したら湧いてくる閃きや、ありとあらゆる冒険のたのしみが満載です。